田上よしえは、ナップザックから取り出した自らの武器を、僅かな月明かりの中で眺めた。 「これ、ピストル? ……うっわ、本物じゃん。弾入ってんじゃん」  他人に見付かってはまずいはずなのに、わざわざ声に出して確認してしまう。その声も口を噤んだ途端暗闇に溶けて消えて行き、残ったのは寒々しいまでの孤独だった。もう随分長い間ピンでやってきたけれど、相方のいない不安をこれほどまでに感じたのは初めてだ。  首筋に張り付いた機械にそっと触れる。この首輪の存在は、ピン芸人とそれ以外を、はっきりと線引きしていた。  自分が生き残るために必死で相方を守る。相方を死なせたくないから、自分も必死で生きる。自分を繋ぎとめてくれる存在――それが、ピン芸人にはない。  だから、自殺する? あるいは、殺人鬼になる? 「そんなんどっちも嫌だっつーの」  田上は立ち上がった。小型の拳銃を、お守りのように握り締める。 「あたし、諦めねーかんな……」  手探りしながら進むしかないのは、いつだって同じだった。それでも女一人で、ここまでやってきたのだ。 「絶対諦めねー」  男勝りの口調で決意し、田上は戦場を歩き始めた。

 だいたひかるは歩いていた。少しずつ深くなる夜を、その肌で感じながら。  風が吹くたび、木の葉の揺れる音が響いて、体の奥がぞくりとした。  お願いだから、誰もこないで――このまま、何もないまま、終わらせて。  叶わぬ願いを抱きながら、曖昧な恐怖から逃げるように、一歩、一歩と歩いていく。  また、物音が聞こえた。  近くから? 遠くから? 風の音? 違うもの?  いくつもの疑問符が、頭の奥で、ゆっくりと舞って――本当は、答えを知ってるはずなのに。  がさり、と、足音が。 「……だれ……?」  振り向こうとして足がもつれ、思わず木の幹に縋った。後ろに傾いた重心で、背中にあるナップザックを思い出す。  あれを……使う?  私が、あれで、人を殺すの?  また、足音が聞こえる。震える指が、ナップザックをあけて、その中身を取り出す。  それは、ずしりと重くて、そして冷たかった。まるで、だいた自身すら拒絶しているように――味方なんて誰一人いないのだと、教えているように。 「来ないで……」  両手で握った銃を、ゆっくりと持ち上げる。銃口は、小刻みに震えていた。力を込めようとすればするほど、それは酷くなっていく。 「こっちに来たら、撃ちます……!」  喉の奥の微かな震動が、脅迫にもならない、か細い声を絞り出す。 「――そんな震えた手で、ほんまに当てられる思うとるん?」  関西訛りの甲高い声が聞こえた。 「撃てるもんなら撃ってみぃや。でも、あたしには絶対当たらんと思うでー」  恐怖など欠片も混じっていないような、のんびりした声。再び足音が近付いてくる。殺し合いにすら微塵も動じていないこの態度が、だいたひかるを震撼させる。  来ないで。殺したくないから。殺したくないのに。どうして。こっちに。そんな――  声の主が――山田花子が、姿を現す。ボウガンが、だいたひかるを狙っている。 「……いや……!」  意識のすべてが、右手に集中するような、感覚。  銃声と同時に、だいたは後方へ弾き飛ばされた。反動を支えきれず手放した銃が、宙を舞っているのが見える。銃弾は狙いから大きくそれたのだろう、高い梢の奥で、がつっという音がした。 「ほーら、当たらんかったやないの」  からかうような調子で言いながら、山田はボウガンを発射した。だいたの右の太腿に、矢が深々と突き刺さる。激痛に言葉をなくしながら、だいたは木の幹で背中を擦るように、その場へ座り込んだ。  山田が近付いてくる。 「体も張らんと売れるからこんな風になんねんで」  テレビで見た時と同じ明るい声で、楽しげな表情で、うずくまるだいたを見下ろす山田。  逃げ出したい――けれど、体を動かせない。 「痛いやろ? もっと痛がりや。それとも――痛がり方もわからんの?」  迫ってくる山田の顔を見ても、悲鳴すら上げられなかった。怖い――傷の熱など掻き消すくらいの、冷たい恐怖に体が震える。 「あたし、最近の子のそういうとこ、大っ嫌いやわ。ブームかなんかに乗っかって、ぽっと出のくせに売れよって。せやから――」  山田はちらりと後ろを見た。 「靖さん、この子、二度とテレビに出れんようにしたってや」  山田の視線の先で、石田靖が立ち上がる。彼の手の中では、月の光を浴びたナイフが無慈悲な輝きを放っていた。 「ほんまにええの? 俺が思ってる通りにしたら、俺も花子も鬼畜やで」  言葉とは裏腹に、石田の眼は、これから起こる出来事への期待にぎらついている。 「何言うてんの。バトルロワイアルなんて、鬼畜のためのゲームやで。――あたしらが勝者になるためのゲームや」  山田の言葉に、石田は満足そうに頷く。 「おし、花子がその気なら、俺も思う存分やらしてもらうわ」  石田がだいたに歩み寄り、ナイフを眼前に突きつけた。だいたは立ち上がろうとしたが、右足の痛みがそれを妨げた。 「ほら、逃げても無駄やで」  屈み込んだ石田は、ナイフをだいたの首筋に沿わせた。すう、と、背筋の寒くなる感触。浅く破れた皮膚が、外気に触れてひりひりと痛む。 「……あなたたちには、プライドとか、ないんですか?」  指先で地面に触れながらだいたは問うた。石田はその問いを、鼻で笑う。 「プライドがなんぼのもんや。んなもんが、生き残るための役に立つんか」 「そんなもん、一番先に捨てたもんの勝ちやねん――芸能界でも、バトロワでもな」  一歩離れて見守る山田の言葉が、石田の答えに重なった。  その答えに、だいたは笑う。絶体絶命の状況だというのに、笑う。 「言い訳ですか? そうする事でしか、自分を保てない事への」  だいたの手が、動きを止めた。 「あなたたちは――こんなゲームで若手芸人に殺されるのが、怖いだけだと思う」  ぐっ、と左手を、握り締めて―― 「やかましいわ」  腕を持ち上げようとした瞬間、左肩にナイフが突き刺さった。力の抜けた左手から銃が滑り落ち、ガシャン、と音を立てる。 「アホやなぁ、油断してる思うたんか?」  石田はだいたの肩を踏みつけ、ナイフを引き抜いた。痛みで体が引き攣り、後頭部が幹にぶつかる。 「ナメんのもたいがいにしぃや」  石田の足が傷を蹴り付ける。堪え切れず涙を流すだいたを見て、石田と山田は声を上げて笑う。 「もう強がりは終わりか?」  ナイフが左の頬を切り裂く。熱い液体がどろりと溢れて顎を伝った。 「ほら、テレビに映れん顔になるでぇ!」  右頬にも同様の傷が付けられる。 「やっ……、やめて」  やっとの思いで搾り出した叫びを、石田は鼻で笑い飛ばす。 「やめるかい。こっから先が最高のショーや」  だいたの鳩尾に向けてナイフが振り下ろされた。しかしそれは、だいたの皮膚を切り裂く事はなく、その紙一重の位置を滑り降りる。  切り開かれた衣服が大きくはだけ、だいたの素肌が晒された。 「ハハッ……わかっとるやろ? このバトルロワイアル、テレビ中継されとんのや。今、日本全国のお茶の間に、お前の裸が映されとるんやで?」  だいたは言葉にならない悲鳴を上げた。残った右手で衣服を掻き合わせ、大きく首を振る。唇だけがうわ言のように、もう、許してと繰り返していた。 「なんでやねん。ここまで来たら、もう最後までいったって同じやろ……なあ?」  石田の手は、ゆっくりとだいたの腰へと伸びていく。  だいたはきつく瞳を閉じ、全身の力を抜いた。抵抗なんて無駄なのだと、そう悟ってしまったから。

 どこかでパン、と乾いた音が響いた。そして、石田の動く気配。 「なんやおま――」 「そっから離れなさい! 今すぐ!!」  この場にいなかったはずの誰かの声に、だいたは目を開いた。視界に入ったのは、体だけ振り向いた石田と、ボウガンを構えた山田、そして――  田上は震える右手に左手を添えるようにして、銃を構えていた。  一発目の衝撃がまだ残っている。当てるつもりはなく、警告のために真上に向けて撃っただけなのに――あれが人を殺せる武器だと認識した瞬間、恐怖が神経を伝って全身に巡った。  でも、逃げるわけにはいかない。見過ごすなんて出来ない。  田上はだいたに視線を送る。座り込んで震えているだいたは傷だらけで、切り裂かれた顔は、まるで血の涙が流れているようだった。 「あ、あんた、この子と同じになりたいんか!?」  山田はボウガンを田上に向けようとした。しかしそれよりも早く、銃弾が山田の右腕を抉る。 「あ、痛ぁっ!」  山田は悲鳴を上げてうずくまった。 「花子――てめっ!」  石田が立ち上がり、ナイフを振りかざして迫ってくる。  田上は迷わず引き金を引いた。石田がだいたにした事など、一目見ればわかる。石田の脇腹から鮮血が散った。しかし石田は、何事か喚きながらさらに突進を続ける。  紅く染まったナイフと石田の形相の恐ろしさに、思わず上げそうになった悲鳴を、田上は歯を食いしばるようにして耐えた。こんな所で「女」の自分を見せるわけにはいかない。  連続で引き金を引く。2度の銃声と、石田の叫び声。一呼吸置いて恐る恐る目を開けると、石田は胸から血を流し、仰向けに倒れていた。 「や、靖さん! 嘘やろ!?」  山田は既に動かなくなった石田に縋りつく。首輪は電子音を発していたが、山田はそれに構う事もなく、石田の名を呼び続けていた。 「靖さん……嫌や、こんなところで――」  首輪が爆発し、山田は石田の上に倒れ伏した。 「だいた!」  田上はだいたに駆け寄る。 「良かった、間に合って――」 「近寄らないで!」  突然、だいたが叫んだ。田上も、他の誰でも見たことのない、すさまじい剣幕だった。 「こっちに、来ないで……」  だいたの右腕が持ち上がる。  その手に握られた銃の、その先は、田上に向けられている。 「……どうして」  途惑いながらも、田上は足を止める。 「あ、あなたも……田上さんだって、同じでしょう?」  立ち尽くす田上にぶつけられた、ネタ中の口調からは想像も出来ない、高く、震えた声。 「私が、売れたから……エンタで有名になったから、妬んでるんだ」 「ちが――」  田上は否定しようとして、止めた。  震えて狙いが定まらない銃口と、涙すら枯れ果てたかのような真っ赤な眼。  今のだいたには、きっと誤魔化しは通用しない。 「――そうだね。そうかもしれない」  だいたが息を呑むのがわかった。  オンエアバトルで言えば、だいたは田上の後輩に当たる。だいたがテレビに出始めた頃の田上は、既に女ピン芸人でありながら何度もオンエアを獲得していた。  しかし、他でもないエンタによって、二人の立場は逆転した。だいたや青木、摩邪らエンタに推された芸人たちに、田上はあっという間に追い抜かされてしまった。  その事について、何も感じなかったと言えば嘘になる。 「だけど、一人で戦わなくちゃいけないピン芸人の気持ちはわかるよ。失敗して落ち込んだ時も、成功して妬まれる時も――いつだって孤独なのは、アタシも同じ」  田上は一歩だけ、だいたに近付く。 「だからさ、こうやって銃向け合うのは、やっぱおかしいって。こんな時こそ、一緒に戦わなきゃ――協力しなきゃ、生き残れないじゃない」  出会った人間全てを殺す事が、ピン芸人が生き残るための正しい方法だろうか?  田上にはそうは思えない。周りの人間全てを敵に回して、勝ち抜けるはずがないではないか。それに――田上は知っている。最大の敵は、孤独なのだと。  誰かと一緒に生き延びる事など出来ないのかもしれない。だけど、信頼できる仲間がいるなら――ほんの少しだけ、「この先」に希望が持てる。 「……田上さんは、怖くないんですか? 裏切られる事が」 「そりゃ怖いよ。でも――仲間がいないって事の方が、ずっと怖いね」  田上はだいたに背を向けたかと思うと、いきなり芝居がかった様子で振り向いた。 「あれっ、こんな所にいるじゃんちょうどいいのが! 良かったー、これでもう怖くない!」  田上の言葉に、だいたは微かに笑った。 「嬉しいです……そんな風に言ってもらえるなんて」  こんなに穏やかな気持ちになれたのは、久々のような気がする。 「私、ずっと一人でやってきたから……仲間だなんて言ってくれたのは、田上さんが初めてでした」  だいたは静かに、銃を握った右手を引き寄せる。  そして、自分のこめかみに当てた。 「ちょっ、何して――」 「でもやっぱり、あんな姿を日本中の人に見られて、生きている事なんて出来ない。たとえこのゲームで生き残ったって……顔の傷も、あんな事をされたって過去も、消す事は出来ないでしょう?」  ぽたり、と、紅い雫が顎から落ちる。赤黒く染まった頬の上に、鮮やかな紅色が一筋走っている。  あるいは――それは本当に、だいたの流した血の涙だったのかもしれない。 「だいた……」  田上は、両手を握り締めて俯く。  悔しかった。結局自分も無力なのだと、思い知らされたようだった。  けれど、どうすることも出来ない。一度起きてしまった事は、なかった事になど出来ないのだ。  このゲームで死んだ人間が、二度と生き返らないように。  田上はだいたに背を向ける。 「あたし、また、一人ぼっちだ」  だいたを責めるつもりはないけれど、呟かずにはいられなかった。  その言葉を、だいたがどう受け止めたのかはわからない。ただ、だいたの最期の言葉は、田上の耳にも届いていた。 「弱い人間で、ごめんなさい」  銃声が響くと同時に、田上は再び歩き始めた。

「残念だなあ、実に残念だ」  無数のモニターが並べられた本部の一室で、プロデューサーの五味はそう口に出した。  彼の視線は一つの画面に向けられている。何故かそこには何も映し出されておらず、灰色の砂嵐が延々と流れているだけだった。 「あれがきちんと映っていれば、高視聴率間違いなしだったのになあ」  その画面には、だいたひかると靖&花子、そして田上よしえの戦いをベストアングルで撮影したカメラの映像が映るはずだった。  しかし、五味の期待は思わぬ形で裏切られる。だいたが山田花子に向けて放った銃弾、反動のせいで大きく狙いからはずれたその弾が、隠しカメラに当たってしまったのだ。  そこから先は、当然映像を見る事は出来なかった。しかし、首輪には盗聴器が仕掛けられているから、音声を聞けばそこで起こっている出来事くらい容易に想像が付く。  普段のエンタならば当然放送出来ない内容である。しかし、バトルロワイアルをしている今なら――最大の禁忌であるはずの殺人ですら放送している今なら、あの出来事も視聴率上昇に一役買ってくれたに違いない。  いっそ音声だけでも流そうと提案したスタッフもいた。しかしその方法は、テレビの良さを最大限活かすという五味の信条に反していた。自分の信念を曲げる事は、五味にとって一番許せない事だったのだ。 「まあ仕方ないさ、生放送にハプニングは付き物だからな」  エンタ芸人の中でもわりあい知名度の高いだいたが、かなり早い段階で死んでしまったのは残念だが、視聴率を上げてくれそうな芸人はまだまだたくさんいる。プロデューサーが芸人一人の死をいちいち惜しんでいるわけにはいかないのだ。 「だいた抜きでも視聴率の上昇はすごいしなあ。どこまで行くか楽しみだ」  スタッフの一人に呼ばれ、プロデューサーはモニタールームを出て行った。

 田上よしえは歩いていた。ただひたすら歩いていた。  右手には、残り一発になってしまった拳銃。  あたしはまた誰かを殺すのだろうか。今度は誰かを救えるだろうか。  武器がこれだけでは、生き残るのは難しいかもしれない。  どうせ残り少ない命なら、誰かのために生きて、誰かのために死のう――田上はそう決意する。  そして――出来る事なら、自分と同じピン芸人に、教えてあげたい。あなたは、独りじゃないってことを。  滲んだ視界を左手で擦る。  泣いてちゃ駄目だ、笑顔じゃなきゃ。明るく強気が田上よしえの良さなんだから。 「あたしは、諦めねーかんな」  空の彼方に向けるように、顔を上げて、田上は呟く。 「だから……出来れば、見守っててよ」  たった一人の仲間に向けて。

【靖&花子――死亡】

【だいたひかる――死亡】

【残り38組】

※田上よしえは既に死亡しています。これは過去の話です

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