鈴木は慣れない手付きで迷彩服に袖を通した。 お笑い芸人からレンジャー部隊へ。まるでそれは、このゲームそのものを表しているようだった。 塚地の方も、いざという時のために、腰のベルトに吹き矢の筒と2本の矢を差してある。吹き矢なんて咄嗟に使えるものではないが、手の届く所に武器があれば、不安が少し減るような気がした。 「鈴木、上着使わないんなら貸せや」 鈴木が脱いだ服をナップザックに押し込もうとしているのを見て、塚地は声を掛けた。 「いいけど、塚っちゃんが着るつもり?」 鈴木は自分と体型の違いすぎる相方を見る。 「袖くらい通るやろ。こんな薄っぺらいシャツよりマシや」 「じゃあ……」 鈴木がスーツの上着を手渡そうとした、その時。 ガサッ―― 茂みを踏み分ける音。 二人が振り向くと、そこには袈裟に鉢巻姿の男――南野やじが立っていた。 焦点の合っていない虚ろな瞳、どこか恍惚としたような顔。とても戦場に立つ人間の表情ではない。しかし彼は、二人を認識した瞬間、自分の手にした武器を振り上げる―― それは、鋭く削られた鉛筆であった。 数メートルの間合いを、南野は怯む様子もなく一気に詰める。武器が文房具だとは思えない程のその気迫に、塚地はたじろいだ。どうすればいいのか、頭が真っ白になる―― 塚地の視界を、灰色のスーツが遮った。 上着を投げ捨てた鈴木は地面を蹴る。そして体を低く沈め、真っ直ぐ突っ込んでくる南野にタックルを仕掛けた。 静かに舞い落ちるスーツ。塚地の視界が再び開けた時、南野は地面に背中をつけていた。鈴木はそのまま、淀みない動きで南野の腕を掴み、アームロックをかけた。 「う、あ、……いだだだっ! 痛いっ!!」 悲鳴を上げて手足をばたつかせる南野。先程までの気迫はどこにもなく、目には涙が浮かんでいる。鉛筆は既に彼の手から放れ、木の根元に転がっていた。 塚地が笑っていいのか迷っているような表情で、二人を止めに入った。 「鈴木、放してやれ。こいつももう、戦う気ないやろ」 その言葉に、鈴木も南野に戦意がなくなったのを認め、腕の力を緩めた。 「うっ……うわああぁぁ!!」 鈴木に恐れをなしたのか、関節技から解放された途端、南野は一目散に逃げ出した。 「……何やったんやろなー」 鈴木のスーツを拾い上げ、無理矢理腕を突っ込みながら塚地は呟いた。 「不意打ちすれば鉛筆でもいけるって思ったんじゃねーの?」 鈴木が余裕の口振りで言う。 彼とて格闘家の端くれ、素人の不意打ちくらいでは動じないらしい。 「いくらなんでもそれはないやろ……」 言いながら塚地は、南野が残した鉛筆を拾う。なんの変哲もない、ただの鉛筆だ。 「襲ってきた時のあいつ、ちょっとおかしかったで。お前にやられて正気に戻ったみたいやけど」 「ああ……おかしかったって言えば」 鈴木が何かを思い出そうとしているように首を捻る。 「なんや鈴木、気になる事でもあるんか」 「うーん……いや、タックルした時にさ、なんかちょっと、匂いが」 「匂い?」 「うん……」 塚地は鈴木の服に鼻を近付けて匂いを嗅いだ。確かに妙な残り香がある。どこかで嗅いだ覚えがあるのだが、はっきり思い出せない。少なくとも薬品の匂いではなさそうだが。 「香水かなんかつけてたんちゃう? 男がつけたっておかしないやろ」 「そうかなー」 鈴木の声にかぶさるように、ざざっ、と木の葉の揺れる音がした。奇妙なほど静まり返っていた林に、一陣の風が巻き起こる。 その瞬間、“それ”の襲撃が始まった。 噎せ返る様な匂いが溢れ、感覚が惑わされる。南野に纏わりついていたあの匂いだと判断するより早く、思考能力が奪われ、世界はまるで夢の中のようにあやふやになった。しかし、不思議と恐怖は感じない――むしろ、心地良いくらいだ。 意識が闇へと堕ちていくのを、二人は止める事が出来なかった。 我に返った鈴木が一番初めに見たものは、闇の中に溶けるような、漆黒のドレスの女性。 そして、彼女の前に恍惚とした表情で立つ、自分の相方であった。 「ごきげんよう――椿鬼奴です」 蠱惑的な微笑みを浮かべ、彼女はそう名乗った。 本編 進む 音 ◆yOLxh0F1.c |
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