逃げて、逃げて、全速力で逃げ続けて、自分が何故逃げているのかわからなくなったところで足がもつれた。その勢いのまま前方に一回転して、やっと停止する。  追っ手は来ていないようだった。そもそも、あの状況だったら、殺す気があれば簡単に実行できただろう。しかしあの二人は彼を逃がしてくれた。今がバトルロワイアルの真っ只中である事を考えれば、それは幸運としかいいようがないだろう。  しかし――それならば何故、彼らは自分を襲ったのだろう? 記憶を遡り原因を探ってみたが、その直前に何があったのか、自分が一体何をしていたのか、何故だかまったく思い出せない。  いや、落ち着け。最初から考えてみるんだ。  彼は仰向けのまま深呼吸し、これまでにあった出来事を反芻した。  エンタの楽屋にいた事。これは思い出せる。  教室。芸人たち。バトルロワイアルの開始。これもはっきり覚えている。  そして、それから――
「……あっ!」
 彼は思わず声を上げ、慌てて体を起こした。  どうしてこんな大事な事を忘れていたんだろう?  そうだ、俺は、約束したんだ――  彼は立ち上がり、自らのいるべき場所へ向かおうとした。  しかし――

そう遠くない場所から悲鳴が聞こえた。  アンタッチャブルの二人は顔を見合わせる。
「誰か襲われたのかな?」
「そうだろうな」
「行くか?」
「ああ」
 一瞬たりとも迷わずに二人は決断した。迷えばそれは即手遅れになるという事を二人は学んでいた。大切な後輩の死によって。  木々の間から激しく人影が見え隠れする。襲われた方はどうやら丸腰らしく、上手く逃げ延びてはいるものの、徐々に追い詰められているのは明白だった。
「くっそ……こっからじゃ当たんねえな」
 ライフルを構えながら山崎が呟く。木が邪魔になる上に、目標が動いているからだ。下手をすれば、襲われている方に当たりかねない。
「いいよ山崎。今回は俺がやる」
 山崎を手で制しながら、柴田が前に踏み出した。そのままずんずん二人が戦っている方へ近付いていく柴田に、山崎が慌てて声を掛ける。
「し、柴田、そんな近くに行ったら危ないって」
 確かに柴田の武器であるサブマシンガンは、山崎のライフルに比べれば近距離戦に向いた武器である。しかし、わざわざ敵に近付いて、自らを危険に晒すのは得策とは思えない。
「大丈夫だよ、俺逃げ足速いし……間違えて撃っちゃったら後味悪いだろうが」
 襲われている芸人は、どうやら自分とはあまり親しくない人物のようである。しかしそれでも、彼を死なせるわけにはいかなかった。  もしも自らの手によって彼を死なせてしまったら、今までしてきた事のすべてが瓦解してしまうような気がしたのだ。  そうなったら――一体、自分たちは、何を信じて生きればいい?  一瞬感じた心寒さを振り払うように、柴田はサブマシンガンを握り締める。
「よし、行くぞ!」
 自分を鼓舞するように声を上げ、柴田は走り出した。

「うわああああ!!」  目が合った瞬間に、そいつは武器を振り下ろしてきた。紅色に染まったそれは、 外国の昔話にでも出てきそうな、巨大な斧。彼がぎりぎりで攻撃をかわすと、 それは鈍い音と共に地面に突き刺さった。あれを喰らったら一溜まりもないだろう。  敵が地面から斧を引き抜こうとする隙に彼は逃げ出した。 しかし、全力疾走の疲労が抜け切っておらず、体が思うように動かない。おまけにこの服装では――  圧倒的不利ではあったが、それでも自分のやるべき事を思い出した今、簡単に諦めるわけにはいかなかった。  スピードを上げて横薙ぎをかわす。服が引っかかり破れる音。しかしそれに構ってはいられない。  上から下へ。右から左へ。緩慢な動きにも関わらず、それは確実に彼を追い詰めていく。  恐怖に負け、彼がほんの僅か後ろを振り向いた瞬間。  彼の疲れ切った足は、小さく盛り上がった木の根につまずいた。 「あ……」  終わりだ。  傾いていく視界いっぱいに、斧を振り上げたそいつの姿が映った。  瞳を閉じる事も出来ないまま、最期の時を待つ彼。  しかし、斧が落ちるよりほんの一瞬だけ早く。

「何やってんだてめぇ!!」

柴田はサブマシンガンを構え、あらん限りの声で叫んだ。  襲っていたのは、派手な蝶ネクタイで胸元を飾った男、きくりん。  きくりんは斧を構えた体勢のまま振り向いた。その瞳が、柴田の瞳を捉える。  その時柴田は、初めて殺人者の瞳を見た。  そこには、悪意の色などなく。  狂気すらも存在しなかった。  あるのはただ、冷たい意志と、哀しい決意。
「う……」
 サブマシンガンを持つ手が震えた。  ――何故だ。  こいつはゲームに乗ったのではないのか? 悪に手を染めたのではないのか?  こんなのは違う。これでは――これでは、まるで。  自分と同じではないか。
「……柴田さん? どうかしたんですか?」
 きくりんの瞳が鈍く輝く。
「やる気ないならこっちから行きますよ? 僕も生き残りたいですからね」
 きくりんは振りかぶったまま間合いを詰める。柴田の眼前に、斧が迫る。
「……くそっ!」
 柴田は引き金を引いた。軽快な音が響き、銃弾がきくりんの腹に吸い込まれていく。きくりんは2、3歩後退した後、何かを訴えるように柴田を見、そのまま地面に倒れた。  柴田は呆然とそれを眺めていたが、はっと我に返ると、地面に座り込んだままの男に駆け寄った。 きくりんも変わった服装だが、彼に襲われていたこの男も、負けず劣らず妙な格好をしている。 お寺の坊主が着ているような――確か、袈裟とかいう服だ。
「大丈夫か?」
「え? あ、はい……」
 男――南野やじは、何が起こったのかわからないのか、困惑したように柴田と倒れたきくりんを見る。
「安心しろ、俺はお前を助けに来たんだ」
「助けに?」
「おーい! 柴田、無事かぁー!?」
 そこに、無駄に大きな声を上げながら山崎が駆け寄ってきた。
「ああ、なんとかなったよ。こいつも無事だ」
 動かなくなったきくりんが視界に入った瞬間、胸の奥で何かが疼いたが、気のせいだと思う事にした。
「あ……ありがとうございます」
 二人が揃ったところで、南野はとりあえず礼を言った。
「ああ、いいっていいって。気にすんなよ」
 柴田はひらひらと手を振り、俺らの目的はゲームに乗った奴倒す事だしな、と笑って見せた。
「お前は? 目的とかあんの?」
「僕は……」
 目的、と言えるものかどうかはわからないが。
「実は今、探してる人がいて」
「え? 誰?」
「椿鬼奴さんです。黒いドレス着た女の人で……」
 南野は二人に、椿の外見や服装などを説明した。
「どこかで見かけませんでした?」
「いや……」
「知らないなー……」
 首を傾げる二人に、南野はわかりました、と頭を下げた。 手掛かりがないのは残念だったが、死んだと決まったわけではないだけありがたかった。
「その人、お前の仲間なの?」
「はい、一応」
 彼と椿は同じ事務所に所属していた。 特別仲が良いわけでもないが、ゲーム開始から数十分後に偶然出会い、そこで互いに協力する事を約束したのだ。  だが、その後の記憶がない。
「次に気が付いた時には、他の芸人さんに襲われていて、 気が動転して思わず逃げ出してしまったんです……そこではぐれちゃって」
「襲われたって、誰に」
「それは……」
 南野は二人の顔を見ると、言いにくそうに小声で呟いた。
「ドランクドラゴン……さんです」
「ドランクドラゴン?」
 まさかあの二人が?  山崎と柴田は顔を見合わせる。
「でも……まさかなあ」
 鈴木一人ならありえなくもないが、相方の塚地は常識的な人間だし、安易にゲームに乗ってしまうとは思えない。
「まあ、どうせ近くにいるんだからさ、とりあえず会ってみた方がいいんじゃない?」
「そうだな……」
 あの二人も、まさか事務所の先輩をいきなり襲ったりはしないだろうし。  もっとも、南野をほぼ無傷で逃がしたという事実からすれば、二人が殺人目的で南野を襲った可能性は薄い。 恐らく、なんらかの事情があったのだろう。
「お前はどうする? 一緒に来るか?」
 いかにもひ弱そうな南野を、一人で残していくのは気が引けた。  しかし、南野は首を振る。
「いえ……僕は椿さん探して、そっちに合流します」
 確かにアンタッチャブルの武器は強力だし、味方になってもらえれば安全に目的を果たせるだろう。  しかし――柴田の言った、「ゲームに乗った奴を倒す」という言葉が、安易に仲間になる事を躊躇わせた。  椿がゲームに乗ったかどうかはわからない――もしかしたら、既にどこかで誰かの命を奪っているかもしれない。それをこの二人に知られたら、見逃してもらえる保証はない。  椿鬼奴は、今度こそ自分が守り通す。  その決意を示すように、南野はきくりんの斧を手に取った。
「そうか……わかった」
「気を付けてな」
「はい。お二人も、お気を付けて」
 そして彼らは、互いの目的に向かって歩き始めた。  残酷な真実は、静かに明かされる時を待っている。

 きくりん――死亡(死因:アンタッチャブル柴田にサブマシンガンで撃たれる)

【残り46組】

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