しばらく歩いた後、阿部はちらりと後ろを振り向いてみた。吉田が追ってくる気配は感じられない。当然だ。 さび付いた扉は内側からは簡単に開けることなど出来ない上、鍵まで掛けてあるんだから。阿部はまた口の端をつり上げて笑った。 「ふ、…ふふっ、」 手の平には、吉田を壁に叩きつけたときの感触が残っている。 「はははっ」 ―――ガサっ、 「…あ……!?…」 突然聞こえてきた茂みの揺れる音に肩をすくめ過敏に反応する。嘘、まさか、もう…!?そんなワケないだろ…。 「吉田?」顔を引きつらせ、何処か怯えたような表情で注意深く辺りを見渡した。 音はすぐ側の茂みから聞こえている。銃を構えたままそろそろと近づき、長く茂った草むらに手を掛けようとした瞬間――。 阿部の目の前に白い物が飛び込んできた。 「うわっ…!」 咄嗟に後ろに飛び退いた。固く目を瞑り両腕で顔をガードする。(もちろん銃は離さなかったが。) 慌てて後退したせいで木の根につまずきどしんと尻餅をついた。上げた腕はそのままで、薄く目を開ける。 目の前には、小さな白い鳥が阿部を威嚇するかのように翼を大きく広げてバサバサと忙しなく羽ばたいていた。 追い払おうと腕を振り上げると、白い鳥は上空高く舞い上がり何回か阿部の頭上を旋回し、再び先ほどの茂みの方へと戻っていった。 そして、一つの木の枝に留まった。阿部はそれを目を丸くして座り込んだまま見詰めている。 「あ、巣だ……」 先ほど自分が近づいた草むらに生えていた木の上に、鳥の巣があった。高くて見えないが、かすかにピイピイと小さな鳴き声が聞こえる。 たぶん、雛がいるのだろう。あの鳥は自分の雛たちを守る為に阿部を攻撃したのだ。 「…今にも落っこちそうな巣だな。」 鳥を刺激しないようにゆっくりと立ち上がる。 「だめだって〜、ちゃんと守りたいんなら、誰にも見つからないとこに隠しておかなきゃ…。」 俺みたいに。と最後に付け加えた。最も、自分のやっていることは「守っている」とは少し違うのだが。 「見つかったら、殺されるよー。」 阿部は銃を構え直し、巣を狙った。親鳥は枝の上でバタバタと羽を羽ばたかせる。撃とうとしているのが分かるのか。へえ、賢いじゃんか。 「………」 ふいに、引き金に掛けられた指が緩んだ。眉をしかめて呟く。 「ん〜…鳥なんかに使っちゃ弾がもったいないな。ま、いっか。そのうち蛇にでも食われちゃうだろうし。」 家の瓦の下にツバメがよく巣を作っていたのを思い出した。親鳥が雛に餌をやる様子を見ることが好きだった。だがある日、突然雛の鳴き声がしなくなった。 巣の中は空っぽだった。まだ飛ぶことも出来ない雛が蛇に食べられてしまったからだと知ったのはつい最近のことだった。 ふん、と鼻を鳴らし銃をおろして再び歩き出す。とんでもない所で足止めを食ったもんだ。 「…吉田は、“蛇”に食われたりしねえよな…多分。見つかりっこない。あんな所。」 吉田は何も武器を持っていないから、自殺は出来ない。だがその分、誰かに襲われたときあっという間に殺されてしまうかもしれなかった。 だから阿部は吉田を閉じこめた。誰にも見つからないように。 「さ、陣内さんはどこかな。」 「ここや。」 「…っ!!」 阿部が振り向いた瞬間、大きく振りかぶった陣内の拳が顔に飛んできた。咄嗟の事で身体を動かす事が出来ず、地面に叩きつけられる。 げほ、と咳をすると血の混じった胆と共に小さな歯がコロリと飛び出てきた。 (あ〜痛い…奥歯欠けたじゃん…。) 背後から拘束するように陣内が腕を回し、阿部の首筋にナイフを突き付けた。 「いつの間に…。」 同じ名前、同じ身長、そして自分と同じくらいトロい先輩だと思ってたけど、やるときはやるんだな。と他人事のように考えた。 「お前が近づいて来んのが見えたから、そこの草むらに隠れとった。それよりもお前、吉田をどうしたんや。何で、あいつが居らんねん。」 陣内は阿部の問いかけを遮った。少し声が震えている。 「……閉じこめた。」 その言葉に、陣内は息を飲んだ。 「何処に!?」 「さっきから質問ばっかするんですね。教えたら隠した意味がないじゃないですか。」 「う、うっさいわ。ええから答えろ!」 「…手が震えてますよ。」 「…お前…っ!!」 ぐっ、と阿部がナイフの刃の部分を掴んだ。 手の平の薄い皮は簡単に切れ、真っ赤な血が手首を伝って地面に落ちる。それでもなお力を入れ続け、自分の首からナイフが少しづつ下がっていった。 「あ…―――」 奇行とも言える阿部の突然の行動に、陣内は戸惑った表情を浮かべた。ナイフの柄を掴んでいる手がぶるぶると震えている。 わき上がってくる“恐怖”からか、力を入れる事が出来ない。すっかり血に染まった刃を握ったまま、もう片方の手で陣内の手首を掴み、くるりと身体を捻って陣内の正面に向き直った。 手を離すと、陣内の手から自然とナイフもこぼれ落ちた。回りながら落下したそれは、すとん、と地面に刺さった。 「すごいでしょ?痛いのも、怖いのも、…悲しいのも。慣れれば平気になるんです。」 真っ赤な手を広げて阿部が言った。 「…可哀相やな、お前。俺は絶対諦めへんぞ。お前みたいに、呑まれたりせえへん。」 陣内の顔が悲しげに歪んだ。 「可哀相だなんて…思われたくない。余計なお世話ですよ。」 阿部が銃口を陣内に向けようとしたが、陣内が阿部の手を蹴り上げる方がわずかに早かった。 阿部の手から銃が弾き飛ばされ、カラカラと少し地面を滑った所で止まった。 「あんまトロいトロいって馬鹿にせんといてや!」 「…!」 銃をひろうべく、阿部と陣内がほぼ同時に、銃に向かって走った。 速さは阿部よりも身の軽い陣内の方が勝っている。 これだ、この銃さえ奪って壊せば、阿部はもう人を殺せない。 陣内の手が銃に伸ばされた。

どすっ

「……えっ……」 背中に強い衝撃が走った。脚がもつれ、その場にうつ伏せに転ぶ。がたがたと震える手で、背中を探ると、堅い物が指先に当たった。 陣内の背中には、さっき落としたナイフが深く刺さっていた。阿部が投げたのだとすぐ分かった。 「びっくりしたぁ…。」 倒れたままの陣内の横をすたすた通り過ぎ、ゆっくりと銃を拾い上げる。 「これ、盗らないでください。荷物置いてきたんですから。」 そして、うつ伏せの状態の陣内の背中に銃口をぐっと押しつける。 「俺の勝ちですね、…お疲れ様でした。陣内さん。」 「阿部……!!」

ズドンッ

弾は背中を突き抜けて地面に刺さった。陣内の身体が一瞬跳ねると、背中はみるみる内に赤くなり、血の水溜まりが出来た。 その水溜まりをばちゃっと踏みつけ、阿部は踵を返して歩き出した。 「ふぅ……久しぶりにいっぱい動いたよ…じゃ、今帰るからなー。吉田。」 くるくる銃を回しながら元来た道を引き返し始めた

本編  進む

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